徳之島闘牛の紹介

徳之島の闘牛は、闘牛大会が開催されている各地の中で「最も熱い!」と言われ、全国的にも一目置かれている。その理由は、なんと言っても牛同士がぶつかりあう迫力と激しい技の攻防、勢子、応援団、観客の視線がその奮闘に注がれる一体感とともに、場内が熱気に覆われる事に尽きる。

闘牛大会には700kgクラスの小型牛から1トンを越える大型牛までが揃い踏みし、直径約20メートルのリング内を所狭しとぶつかり合い、突きや角掛け、懐に飛び込む速攻など技の応酬を繰り広げる。加えて、闘牛大会には幼児から高齢者まで、島内人口の一割を超える3,000人余りの老若男女が詰めかけ熱戦を堪能する。

場内では勢子が牛と一体となって愛牛を叱咤激励し、一挙手一投足に会場の視線が集まる。好勝負や激戦になればなるほど、指笛とともに場内からの歓声も響き渡り、勝利の瞬間、歓喜の踊りを繰り広げ南国ならではの熱狂に包まれる。

徳之島の闘牛の歴史

牛同士が闘うのは元々持つ縄張り意識から生じるもので、農作業などで使っていた牛が闘う様子を見たことからから始まり、農耕を通じて人間と牛が係わりだした頃から自然発生的に生じたとされている。奄美における闘牛の歴史は、約400年前に薩摩藩の支配下に置かれた頃から行われていたと見られ、サトウキビ生産が厳しく統制される「砂糖地獄」に苦しめられた島民唯一の娯楽だったと言い伝えられている。

闘牛大会は戦前まで、牛主同士が相談し合い、島の行事が行われる際に川原や浜などに闘牛場を作り行っていた。戦後、徳之島闘牛組合が設立され、組合規約を作り、入場料を徴収して運営されるようになった。昭和42年に徳之島町、伊仙町、天城町の三町に闘牛協会が組織され、この三町の協会をまとめ「徳之島闘牛連合会」が設立された。

現在の闘牛大会

徳之島闘牛における最高峰タイトルは、横綱の中の横綱である「全島一横綱」。愛牛が横綱になり、「全島一横綱」のタイトルを獲得することを夢見て牛主は日々飼育に励む。また現在の闘牛は体重差があるため、横綱に次ぐ900kg以下を「中量級」、800kg以下を「軽量級」、700kg以下を「ミニ軽量級」として、それぞれタイトル戦が行われている。

大会は、初場所(1月)・春場所(5月)・秋場所(10月)の年3回で6場所の「全島大会」が開催され、徳之島、天城、伊仙の各町の協会が持ち回りで主催する。また、全島大会と前後した日やお盆には、牛主同士が出資して各地の闘牛場で闘牛大会が行われている。

徳之島町文化財保護審議会委員:遠藤 智

徳之島の闘牛大会情報は下記のサイトをご覧ください。